私作小翔 | 原点回帰への旅〜ミンさん
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原点回帰への旅〜ミンさん


土曜日の朝、いつものように4時過ぎに起きて整経し、織り機に縦糸をかけ2、3段織ってみたらなんだか良い柄が出て、
急に旅に出たくなった。
ジャズフェスが終わってからは神戸から友達が来て、松島で船に乗ったり、大好きな瑞巌寺の洞窟見たり(友達には不評
やったけど私はやっぱりすごいと思う)、福島の野外フェスに参加したり、なんやかんやと旅人ぽいことして忙しかったのに、

週末を迎え、久々に”いきあたりばったり”病が・・・

神戸に住んでた頃は、朝起きて「あ、うどん食べたいな〜」って18切符買って香川まで讃岐うどん食べに行ったり、大好き
な淡路島によく行ってたな。

でも、それって何年も前のこと。ほんと久々の”いきあたりばったり”や。

ちょうど日曜に、祖父の一周忌で新潟に行く予定があってフリーパスを買っていたのもあって、即決で行く事に。

 

かねてからお客様方に呪文のように「あなたは盛岡の材木町に行かなきゃだめよ」と言われていたので、とりあえず盛岡方
面へ決めて、新幹線に乗ってみた。

で、せっかく岩手へ行くなら宮沢賢治氏にも挨拶しとこうと思って、まず花巻に行くつもりで北上駅で新幹線を降り、在来線
に乗り換えようと思ったら、改札口でひっかかった。

駅員さんにパスを見せたら「これは北方面は古川までしか乗れませんよ」と言われ、乗り越し運賃を3000円も払わされ
た・・・3連休パスをケチって土日パスにしたのが原因。
これがいきあたりばったり旅の怖い所でもあり、面白い所でもある??
自分が悪いんやけど。

こんなことでは盛岡までは行けへんなぁ、とりあえず降りちゃったし、いきあたりばったり精神を貫いて、北上でも散策する
かな〜、と駅を出てみたら住宅街しかない・・・

なんか人も歩いてへんし、繁華街っぽい所もないし。
こういう時は地元の人に聞くしかないわ。
かなりブルーな気持ちになったけど観光案内所でおすすめのスポットを教えてもらった。

すごく丁寧に教えて下さって「民俗村」という茅葺きの家や昔の民家を移築して作った場所があって、その周辺に観光ス
ポットが集結してるらしい。

面白そうやん。ここは東北、昔の人が織った裂き織りにも会えるかもしれへんし。

「バスがあるのだけど今日は土曜だから次は3時間後だねぇ」・・・

え?観光スポットやのに土日にバスがないってどういうこと??

ほな、歩きます〜と言ったら「歩いたら40分くらいかかるわよ」って。

でも歩くしかないや〜ん!

知らない町は歩いてこそ意味がある!と、地図をもらって北上川沿いをのんびり歩いて「民俗村」へと向かいました。

そしてこの後、たまたま降りざるを得なかった北上で運命の出逢いが!

たどり着いた民俗村は山ひとつまるまる使った観光施設でした。
あらゆる古民家が移築され、本当に生活してるのでは?と思うく
らい息づいた集落が出来上がってました。

「まず博物館からご覧ください」と案内され博物館に入ったら、
ちょうど『着物と仕事着展』という企画展をやっていて、念願の
昔の人が織った裂き織りに出逢えました!

お嫁入り道具として娘さんが自分の半幅帯を裂き織で創った事
とか、格子柄のこたつ掛けとか、少しでしたが、昔の人の緻密な
裂き織を間近で目にすることができて感激。
でも、でも!こんなの序の口。私には更なる感激が待ってたんです!!
次に入った古民家に、なんと織り機が!そして縁側では着物を裂い
てる人たちの姿が!

「裂織の実演やってますよ〜」と声をかけられ、一瞬時が止まりました。
  
うわ〜!!きた〜。北上で降りたのはちゃんと意味があったんやなぁ。と、
興奮しながら織機をみせてもらいました。
130年前の織り機が今も現役で活躍しているんです。

ミンさんという小柄なおばあさんが「いま織るところを見せるから
ね〜」と高機に座り、ギッコンバンバッっと最高に小気味よい音を
響かせながら織っていく様子にうっとりし、
いろいろと織り機の仕組みを聞いて、ますます興奮してると「あん
た若いのに熱心だねぇ、縦糸をはるところも見せてやろうか」と、
願ってもない申し出が!

私は卓上の織り機を使って作品を創っているので、高機のあの細
かい細かい整経ってどうやるんやろう?とかねてから思っていたの
です。
普段は朝にかけちゃうからお客さんはあまり見る事ができないそう
です。あと、すごい時間がかかるし、織ってる姿の方を皆が見たが
るからと。
むしろ、私は行程が見たいと思っていたので、ぜひ!と見せていただ
くことに。

たたみ一畳分はありそうな整経台を織り機に括りつけ、
ここからが、もう・・・

今も思い出したら指が震えてくるくらいの感動・・・

美しいんです・・・

端から端へと何度も何度も往復し、黄色い糸をかけていくミンさん。


		
回を増すごとに枠の中に黄色が増えていく様子は
もう、作業行程の域を超えていました。

まるで芸術作品を見ているようやった。


		
さっさ、さっさとかけていく中にも、キチンと計算されていて
「これは一反分だから○○回往復したらいいんだ」と
頭で数えながらかけているんです。

本当は喋っちゃうと数がわからなくなるやろうに、
糸をかけながらミンさんは私にいろんなお話をしてくれました。

その時の私は、9月に誕生日を迎えた事やその直後に刺激的な
人に出会った事、色んな事が重なったからか、歳がひとつ増えて
からずっと心が「初心に帰れ」と言っていて、なんだかザワザワして
いて、アトリエの模様替えをしたり、色んな人に「初心に帰らなあか
ん気がするねん」と、今後の展開を相談したりしていた時期で。
そんな時にミンさんに出逢った。

ミンさんは私がそんな気持ちでいることなんて知らない。
でも、糸をかけながらおもむろにミンさんはこう言ったのです。

「私はいっつも一年生。織りは車の運転と同じ。慣れが一番だめなんだ」

びっくりした。何十年も織りに携わってきたミンさんは常に初心なんや。
たかだか4〜5年しか織りに携わってない私が
「初心に帰らなあかん気がする」なんて。
「帰らなあかん」のではなくて、常に初心でいなあかんのや。

今の私に一番必要な言葉をもらった。

それからもミンさんは糸をかけながら、
ときどき、心に響く言葉をつぶやいた。

「織りの要は縦糸の綾、綾が心臓部、これが上手くないと織る事すらできないんだ」
※綾(あや)とは整経する時にあらかじめ作っておく糸の交差部分

人間も同じ、心の軸がぶれたり、曲がってたりしてたら、上手く進まへんもんなぁ。

「こうやって糸をかけていくことを私らの親は”ハタ経り”(へり)と言ってね、”経る”って、〜を経てきたとか言うでしょ、あれだ。繰り返し繰り返し同じ事をやって初めて形になるもんだ」

そういえば、織りの縦糸って”経糸”と書く。
こうやって何度も何度も行ったり来たりして糸をかけるからなんや。
経てきた糸なんや。

継続してこそ形になる、か。

織りの中には人生の哲学がたくさん入ってるんやなぁ。
でも陶芸や料理やなんかも手仕事って全てそうなのかもしれへんな。

整経が終わってからの糸巻きの行程も、それはそれは感動的やった。
一反分12メートルの鮮やかな黄色の糸が何百年分の垢や埃をまとった艶やかな床へと放たれる。
日常と呼ぶにはあまりにもったいない、壮大なスケール。
このような光景が昔の家では当たり前のように見られていたのか。
汗をかきながら力強く糸を巻いていくミンさん。

整経の行程を一部始終見た私は、織りに対する概念が変わった。
織りに対しても自分に対しても、今まで以上にきちんと向き合おうと思った。

結局、お昼過ぎから閉館までこの古民家にべったりで、
3日くらいミンさん家で過ごしたような気分。

帰り際、ミンさんの家で採れた洋梨とお昼休みに拾ったという栗を
たっくさん手土産に持たせてくれました。

 

ありがとうミンさん。 
 

 

この出逢いは私の道標になってます。

 

 
ありがとう。

 

目に見えないすっごいものを受け取った、
久々の”いきあたりばったり旅”は
災い転じて福となす素敵な旅でした。